イチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキすること(悲報伝/暗い鏡の中に)


悲報伝 (講談社ノベルス)

悲報伝 (講談社ノベルス)


 西尾維新の悲報伝が発売されたので即読んだのだけど特に何も思えないまま終わったのでさびしいなあと思った。伝説シリーズは西尾維新の近作からしたらかなり好きなほうで、悲鳴伝悲痛伝も悲惨伝もとてもたのしく読めたので、悲報伝で起きていることのあまりのどうでもよさに戦慄せざるをえなかった。悲報伝では魔法少女たちとのバトルがひたすら繰り広げられ、魔法少女たちが死んで終わるが、この本で描かれるべきだったのはもっとストレートな空くんと悲恋ちゃんのボーイ・ミーツ・ガールだったのだと思う。ぼくはもっと二人にイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキしてほしかった。人間もどきの二人の交流をもっと見たかった。空くんの、感情がなさげなキャラクター的にむずかしいのかもしれないが、西尾維新はそういう欠けた二人がよりそう様を描くのがうまい作家だとおもってるので、かなしかった。ぼくが悲痛伝をとても気に入っている理由は、あれが空くんが女の子とイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキしているだけの小説だったからだ。たとえば女の子にうどんを作ってもらうような、そんな静かなシーンが悲報伝にも必要だったのだと思う。鋼矢なんていらなかったのだ。悲恋ちゃんの話をしろ。でももしかしたら悲報伝も、この先に待つ空くんと悲恋ちゃんの物語の序章的なものなだけかもしれないから、一概に否定はできない。期待するしかない。と、ここまで書いてようやく気づいたが、俺は悲恋ちゃんが泳いできたとき興奮曲線がピークに達して、それから鋼矢のことなんてクソどうでもよくなってしまったのが、悲報伝を楽しめなかったおおよその原因だと思う。悲恋ちゃんはこの本は顔見せにすぎず、鋼矢ちゃんのために悲報伝という本があることにまったく気づかなかった。鋼矢ちゃんに関しては、なんかこのモブキャラ出張ってくるな……うぜえ……とずっと思っていたけど、そういうことだったのか。やっと気づいた。気づけた。うれしい。これだけでもこうして何も思えなかった本の感想をがんばって書いたかいがあるってものだ。ほええ。

暗い鏡の中に (創元推理文庫)

暗い鏡の中に (創元推理文庫)

 

 ヘレン・マクロイの「暗い鏡の中に」を読んだ。女の人が二人に分身しちゃったせいで学校をやめさせられたので「かわいそう」と思った。この本に書いてある7割くらいのことはどうでもいいと思えたが、とても楽しんで読めた。いい感じの登場人物が変な状況で死んで、最終的に犯人らしきものを追いつめるけど解決したような解決しないような雰囲気で終わるのがよかった。なかなかにヤっちまったトリックをたくさんの伏線でなんとか成立させるさまに、なんというかその熱量にイかされた。これはそれなりに恐怖を煽る小説らしいが、まったくそんなことなく、「アリスかわいい」とか「ウィリングかわいい」とか考えながら読んでいた。まあ古典なんてそんなもんだろう。ぼくがこの本を気に入った最大のポイントは、この小説が優秀なビタミン剤ミステリだということだ。ビタミン剤さえあれば健康なのだ。健康!健康健康健康健康健康健康健康健康健康!!!!!


 そしてイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキすることがどういうことなのか考えていた。ぼくはここ最近それなりに女の子とイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキしていたが、それが真の意味でのイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキなのか不安になった。不安になるということは自分では結論がでてるんだろう。ぼくは女の子とイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキしながら、どこか自分のイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキしえなさを感じていた。ぼくは数々の女の子とイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキしながらもいつも寂しさを感じていた。女の子の身体に触れながら、手を握りながら、それ以上の行為に明け暮れながら、違和感を抱いていた。ぼくにとってのイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキは誰かと理解しあい、共鳴しあいたい欲望の発露ではなくて、ぼくと他の人の輪郭を確認する作業にすぎなかった。それは本当のイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキをスポイルしているのかもしれなかった。それはぼくが本当の恋愛をしたことがないということを暗に示しているのかもしれなかった。そうだ。今なら確信を持って断言できる。ぼくは生まれてこのかたイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキなんてしたことなかった。ぼくは今までに触れた女の子に、誰一人としてかけがえなさを感じなかった。彼女たちの場所に、ぬいぐるみや動物やお菓子や映画やコーヒーやゲーム機やケータイやフィギュアやチーズや本や草花や空気やキャラクターや言葉や時間や暗闇を代入してもなんの問題もなかった。ぼくはそれらと戯れることをイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキと呼んでいた。それは違った。間違っていた。それは違うよと言いたかった。それは違うよと言いたくなるほどには、ぼくはまだ子どもだった。何も知らなかった。何も知らないことにしたかった。博愛なんて言ってるのも他人に興味がないからだ。ぼくにはぼくしかいなくて、だからこそ誰かに会いたかったのだろう。誰かに会えるということを信じられなかった。ぼくに必要なのは小沢健二じゃなくて中村一義だった。愛し愛されて生きるという双方向性を信じられなくて、ただ言葉を投げればいい博愛をうそぶいていたのだろう。言葉は祈りだった。自分や自分の行為を修飾する数々の嘘を祈りと呼びたかった。だからぼくは、ぼくがいて、そこに女の子がいるだけの時間をイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキと名づけたのだろう。すべては時間だった。経年変化でしかなかった。チクタクチクタク。イチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリチクタク。イチャイチャチュッチュキャピキャピチクタクチクタクチクタク。チクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタク。だけど……。ほんとうは……。ぼくも……。なにか……。だれか……。
 ……でもぼくは叫んでいた。だからこそぼくは叫んでいた。イチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキをがなりたてていた。イチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキに声を枯らしていた。鼓膜も喉も破れ、イチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキがイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキの呈を成さなくなっても、ホフホッスホフロホフホヘモヘになっても、みんなにそれはないわと言われても、それでも魂で叫んでいた。イチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキのような何かの銃弾を荒野で一人撃っていた。
 ……撃っている。
 そうしていたら、いつか、ほんとうのイチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキのほうから迎えに来てくれるかもしれないから。
 今も、そう。
 何かがわかるまで。
 誰かに会えるまで。
 これからも、ずっと。


 そういうことだ( ・´ー・`)