ちんこ


 下の記事をさらっと読み返してたらちんこのことばっか書いてあってびっくりした。ぼくは普段はそんな卑猥な言葉を連発する人間じゃないんですけどね。どうしてもブログだと気が大きくなっちゃうっていうか、ちんこが大きくなっちゃいますよね。ちんこちんこ。
 そんなことより大石浩二さんの『氷上布武』が神でしたね。ネタ的にはよくある感じだったけど、大石浩二さんが描いたってだけでやばいですよね。涙が止まりませんでした。マジで。織田さんがエアペアフィギュアスケートをやるシーンで涙腺崩壊しましたよ。大石浩二好きですからね。いぬまるだしっは神だと思います。また連載してほしいです。それに徳川さんはちんこでかかったしな。
 涙腺といえば最近マジで涙腺ゆるくてやばいですよね。マジやばですよ、マジやば。年をとるとなんとかかんとかって言うけど、まさかここまで涙もろくなるとは思ってもみませんでしたよ。こんな姿、過去の自分に見せたら笑われるんじゃないでしょうか。そんなことないよ。そうか、そりゃよかった、そう言ってもらえると嬉しいよ。どういたしまして。
 ちょっと思うところがあるのは、最近物語に触れて泣くとき、その物語自体に涙を誘発されるんじゃなくて、その物語と、記憶の中の泣けた物語との相似点を探して、どうにか泣いてるような気がするってことですよね。もう何に泣いてるのかわかんないですよね。
 号泣するのって楽しいですからね。スカっとしますしね。ストレス解消法として泣くことを覚えちゃったらことあるごとに泣こうとしちゃいますよね。謎の回路ができあがっちゃいますよね。なんかそれって条件反射的な訓練的な開発的な調教的なアレな気がしますけど、まあ人生すごしていくうちに色々と手際がよくなっていくわけですし、そんな原因と結果のショートカットに自然も不自然もないような気がしますね。
 感動とか物語をおもしろいと思うこととか、ちんことかについても同じことが言えるような気がします。この話はあのおもしろかった話と同じタイプの話だと気づいて、おもしろいと思う。そんなのって作品単体を評価する妨げになる気がするんですけど、批評家にはなるなって色んな人が言ってるような気もするし、まあいいんじゃないかなって思いますね。だっておもしろいことや泣けることが増えてるんだし。感覚が麻痺していくことよりよっぽど健全のような気がするんですが、自己正当化にすぎないのでしょうか。そんなことあるよ。マジかよ。やばいよ。マジやばかよ。そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。気がする気がするうるせえよ。すまねえ。
 つまり大石浩二は神だということですよ( ・´ー・`)
 あとこおろぎさとみエロゲー全部やりたい( ;´ー;`)