サイレンが聞こえる

24(火)

 ほふく前進をしながらファイアーエムブレムをやっていた。家の中で。
 雀荘に行った。

25(水)

 寝過ごしてしまった。人が単位を落とす瞬間を、はじめて見てしまった。はじめてというのは誇張で、僕はもっと陰惨な現場を目撃したことがある。具体的な事例を挙げることはしないが、色んなパターンを、ありとあらゆる場所で。思えば僕はこの一年、単位を落とし続けていた。ガラス玉一つ落とされた、追いかけてもひとつ落っこちた。そんな感じだ。色んなものが詰まっていると思っていたポケットは空っぽだった。指の間から砂がこぼれ落ちるようにぽろぽろと単位を落とした。僕は単位を落としながら本当に大事なものを探していた。東京や京都や岐阜に行った。だけどそれらしきものはどこにも見当たらなかった。僕もうすうすは気づいていた。本当に大事なものなんてどこにもないんだと。大事なものと大事じゃないものの間は境界なんてなく、いつだって僕はそこに暫定的なラインを引いていたことを。流動的なラインは僕にしっかりとした価値観が備わっていないことの裏付けで、ゆえに一つの基準値である単位が、ときどき大事なものの向こう側に行ってしまうこともしかたがない。そのとき人は単位を落とす。優先順位を間違えるのだ。将来設計がない。未来の展望が立てられない。老後のことなんて想像もつかない。だけど今が限りなく楽しい。それだけでよかった。それだけでいいと思っていた。思おうとしていた。自分に言い聞かせていた。
 雀荘に行った。

26(木)

 悲鳴伝を読んでいた。くしかつん家で麻雀をした。くしかつが大三元をあがった。これ大三元やないかい!?(裏声)をみんなで連呼しまくっていた。アスペごっこの最中だったからだ。よくわからないテンションだった。不謹慎ってなんなんだろう?
 麻雀飽きた。