箕面のブックオフでたまのCD二枚買って興奮してるからたまについての文章を書くわ。

 「たま」というバンドをご存知だろうか。
 80年代の日本を席巻した。社会現象を巻き起こした。テレビがメディアの王様として君臨していた時代の話だ。高度経済成長期の日本において、アイロニカルな歌詞を描き続けた彼らのことを、覚えているものはもはや少ない。
代表曲「さよなら人類」の大ヒットは多くのファンと多くのアンチを生み出した。歳月が流れ、彼らは歴史になった。振り返られるときに使われる言葉は「一発屋」だ。だが果たしてそれは本当なのだろうか? 一発屋とは一曲の大ヒットを生み出した後、市場から忘れられたグループのことを言う。*(1)大量生産/大量消費/大量廃棄というポストモダン状況が台頭してくるにつれて、日本の音楽は変容をせまられた。カラオケ文化やクラブミュージックに対応したのがエイベックスであり、小室哲哉であり、ラジオ番組であった。彼らは気軽に聴いて気軽に踊れる4つ打ちの曲を大量に生み出した。「捨て曲」という言葉が人口に膾炙したのもこのころだ。*(2)それからは曲が大量に生み出され(曲が大量に生み出されていて市場にフラットに並んでいることが誰の目にも明らかになり、)その情報量の多さゆえに有名バンドのキラーチューンが独り勝ちし、その他はマイナー嗜好の消費者たちのアイデンティティや自意識の担保となる現在の状況に次第に突入していくわけである。趣味は細分化し、ポピュラー/マイナー、メイン/カウンターという二項対立が失効した。そんな中、いい曲を紹介してくれる雑誌やラジオ、テレビ番組の重要性が増した。*(3)三宅裕司が司会を務めた「いかすバンド天国」は、そのなかでも新人発掘、挑戦者バンドのセルフプロデュースという点から際立っており、人気を博した。たまはこの番組から「爆発」することになる。
 「たま」が作る曲はポップでグロテスク、とっつきやすくてナンセンスであり、なにより実験的だ。抽象的な歌詞は視聴者の心情を写す鏡となるが、歌詞を理解しようとしないで音楽に身を任せるだけでも十分楽しい。彼らはテレビ放送でも生演奏にこだわり続けた。彼らをビートルズやエルメート・パスコアールの比喩で語るのはたやすい。*(4)しかし彼らはアウトサイダーアートのように「発見」されたわけではない。社会現象になったのだ。彼らの登場は90年代のはじまりと対応している。*(5)ポピュラーなもの、世間で流行っているものはくだらなく、マイナーで誰からも顧みられていないものに「真に」文化的なものが眠っていると思い込んでいる人は、彼らが打ち立てた「歴史」をもう一度振り返ってみる必要がある。*(6)


さよなら人類



「今日人類が初めて木星についたよ。ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ」




方向音痴

「楽しい方向音痴から ぼくら寂しい迷子になろうよ」


家族


「ぼくの頭をのぞくのやめてよママ、ママ」

まちあわせベストアルバム

まちあわせベストアルバム

*(1)まるで一発屋じゃないような書き方をしたけど、たまは一発屋ですね……。
*(2)たぶん
*(3)いまもキュレーションとかなんとかいろいろはやってるよねー(´・ω・`)
*(4)まじかよ……
*(5)ついでに言うとぼくの90年代のイメージは「平坦な戦場」の岡崎京子まっしぐらです!
*(6)この文章は何も調べずにかなりてきとうに1分くらいで書かれているので、いろいろと間違っている。ごめんね。