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現代文化をよみといて統計とって英語やってフランス語やって夏目漱石のはなしをきいたようなきもするがだいたいぼくはTwitterをみていたので講義の内容はさっぱりわかりません、すいません。はぁ〜さっぱり♪さっぱり♪

なんか一週間おわってみれば
基礎教養1×3
基礎教養2×1
国際教養×1
現代教養×1
と基礎教養がover killしてるぞ?いや?もしかしてふつうにバランスいい?よくわかんねーや。まあなんとかなるでしょう。

あれ?今しらべたけどこれでふるたんすれば二学期超楽になる…?よくわかんねーや。まあなんとかなるでしょう。

そんなわけで…なんだ。
あれだ。

サイクリング部に行きたいけどケツがあれなのでどうしようかと悩んでいることについて書けばいいのかな?

やっぱやめよう。

書くのも、サイクリング部に入るのも。

チクショウ…。

そんなわけで、東浩紀の「郵便的不安たちβ」を読んだ。思ったことは解説とだいたいいっしょ。つまり、「あずまん昔とぜんぜん変わってないじゃん!」そんなかんじ。
というか最近あずまんが好きすぎてやばい。本格的にAZMクラスタの仲間入りしてしまいそうだ。(実はTwitterでAZMリストに入れられてる)
いまならAZM48という、あずまんを中心としたホモソーシャルな空間を、ホモ小説として戯画化した小説の持っていた批評性がわかる気がする。そしてAZM48の作者の宇野常寛が、一貫してあずまんの批判者だったことも。AZM48を前にしたら「あずまん好きー」ていうのに立ち止まらざるをえねえよ。つまり僕はAZM48が、あずまん信者にあずまんを相対化させるための小説であり、「東浩紀劣化コピー」を生み出すのを防ぐための装置だというふうに読んだ。そんでそれが最大限に、かつ最小限に機能するのが思想地図にβの会報という場所だったのだよ!

って書いたところで気づいたが、この話についてこれるマイミクさんいないよな…。
すまぬ…。
誰に向けて投函してんだ…。誰に向けた手紙なんだ…。
そういう不安についての本。っていうとちょっと違うような気もするけど…。
共通の前提が失われ(社会の規範とかのことです)、文化が細分化し、価値観が相対化した現代では、人から人へと言葉を伝える郵便局が機能しない、っていう比喩から、いろいろ語るのさ。


それと石川忠司さんの「現代小説のレッスン」を読んだ。こちらはびみょうだった。

そんなかんじ。ねむいのでねる。