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学校にいった。1こめはオズの魔法使いの映画をみた。おもしろかった。それから三時間ほど講義がなかったので家に帰った。昨日のてきとう炒めの残りをたべた。おいしかった。学校にいきたくなくなったけど、行った。英語のリスニングぽいのだった。あめりかのテレビドラマの台本を読んだり解説したり質問されたりするらしい。たのしみやなあ。
木曜日に活動してるという文芸部に行った。ねむかったのでどんなだったかまったく覚えていない。覚えているのは、俺がいなかったことくらいだ。しかたないね。初対面のあべこうぼう好きなこに「ぼくあべこうぼう嫌いなんだよねーフヒヒwww」って言っちゃったのがミステイク。なにが嫌いかじゃなくて、なにが好きかで自分を語れよ。
そんなわけで語る。

自己紹介というのがたまらなく嫌いだ。サナギさんも「自己紹介だめだ!」って言ってたからまちがいない。自己紹介っていうのは、要するにニコニコ動画でいうタグ付けみたいなものなんだけど、そのレベルの抽象化はぼうりょくだとおもうなぼくは。いろんな文脈、たとえば伊坂幸太郎が好きなんだったらなぜ伊坂を好きになったのか、どうして好きなのかが省略されるから、みんな同じにんげんに見えてしまう。まるで同じ考え方をしていて同じものが好きな同じ人間であるかのように思える。あなた前に会いませんでした?あなたって僕のともだちに似てますね。
そんなふうにキャラクターを抽象したら他のものとのなんかの類似性を指摘できるのはあたりまえじゃん。そんなわけで僕は自己紹介のときのみんなは前提条件をずっと確認しあってるだけのように思える。
というかキャラクターの自明性の底が抜けてるどころかすべてのできごとの自明性の底がぬけてる(´・ω・`)つまり、どうすればどうなるかが見える。行動している途中に結果が見える。人生の攻略法がわかる。そして実はこの世界に人間は65億人いるんだぜ?しかもネットの発達で一億総表現時代とかいわれてるんだぜ?おまえらたのむから自分で自分のことを語るのはやめてくれよ。記号をまとわないで。ブランドとか純文学とかもうやだよ。誰が誰だかわからないよ。
そんなふうに、びーは死んでいるのです(´・ω・`)「であること」はすべてフラット化しています。なにを「するか」、もしくは「したか」でしか人を語ることはできません。だから僕は行動主義が好きなのです。
でも何かをやったところで、何がしたいかわかんないよね。だからいまは「やってみた」の時代なのです。自分の人生が固有であることを信じれば、もしくは期待をこめればなんだってやってみることができる。でも才能のない人はどうすれば?才能のない人=やりたいことがある人です。
自分のスペックと状況を照らし合わせて最善手を探すしかないのに。
やりたいことってのはだいたい他の人がすでにやったことなんだぜ。

嫌になったあああ!
そんなこと書いてそんなふうに状況をメタ視できる俺かっこいいとも思えないよ。こんなの知識のひけらかしにしかならないんだよ!ひけらかしにもなってないよ……。まじで自分の頭が悪すぎて死にたい。言葉は意識を細分化するだけなんだよ!なにも変わらねえんだよ!なにか豊かになんのかよ!なにか貧しくなんのかよ!そんなのぜんぶねえんだよ!切り刻まれるだけだ!もうこりごりや!外にでたい!サイクリングにいきたい!風を感じようぜ!宇宙の胎動を肌でキャッチしてさあ!ぼくらはニューエイジファンクラブ!もしくはコミュニケーションをまわせ!ぐるぐるぐるぐるまわせ!記号記号記号!承認欲求をみたせ!自分に酔いしれろ!西野カナをきけ!恋人を作れ!共依存の関係になれ。さっさと子供を作ろう。老いたら死のう。それがだめならブレイクコアだ!差異化のゲームをまわせ!知識は必要なくなった。ネット上にデータがあることがすなわちぼくらがそれを知っているということだ。必要なのはタイミングを見極める能力だ。勘の良さだ。ぞんぶんに鍛えるがいい。社会の荒波にもまれてさあ!疑似家族をつくって日本社会つー巨大な母性ん中でぬめぬめと生きろよ!
小説なんて大嫌いだ!思想は死ねよ!評論は論外だ!ヒーリングでいいんだよ!特定のトライブに安住しろよ!開き直りは死ねよ。弱者は自覚して死ね。死ね死ね死ね!
みんな死ね。

そんなわけで、劇場版神聖かまってちゃんが公開中ですね!みたいわあ。いつ大阪に来るのかなあ。



まあしかし、僕は思いがけない人に会いたいよ、ってのはまじだよ。
生きてるものはいないのか。

なんかよくわからなくなってきたけど、ぼくは固有の人生を生きるってのは幻想なんだから、言葉を捨てろよ!みたいなことを考えてるのかもしれない。飛躍があるような気がするけど気にしない。

そんなわけでなんかあれだがこのへんでこの文章はおわります。前フリにしようとしてもしきれない何かがあるよね。なかったらごめんなさい。
日記だと思った人はごめんね。
これはある種のホームシックかもしれないね。ポニョでもみておちつこうかな…。母性の隠喩が過剰すぎて物語がいびつになったアニメーション。あの画面からびんびんくる幼児性と母性のぬるぬるした…なんつーか、アドレナリン一気飲みさせられたみたいな…アレは…だいすきだよっ!

タイトルからわかるように当初は「スケットダンスのエンディングさわおじゃん!」って日記になる予定でした。

まあほんとうにいいたかったことは単純で、つまりは憂さ晴らしで…、まあ…、ごさっしください…。