村上春樹の雑文集の話と村上春樹の話。

村上春樹 雑文集

村上春樹 雑文集

 「村上春樹wikipediaの『村上春樹』の項目を執筆した」、と言ったらどうだろう?
 村上春樹の雑文集を読んだ。本屋さんで見つけてカバーの肌触りに一目惚れ(一触れ惚れ?)してしまい、さわさわさわさわしているうちに買ってしまっていた。家に帰ってからもさわさわさわさわし続け、さわさわさわさわしているうちに読み終わっていた。読み終わったあと、本を閉じると表紙には「69篇」と書いてある。まじか、と思った。そんなにあったのかよ。すぐ読み終わっちゃったぜ。
 村上春樹好きにはたまらない本だ。この一冊で村上春樹のだいたいのことを知ることができる。受け取った賞について、小説について、音楽について、オウムについて、人間関係について……。でも僕は読んでいるあいだ、この本って何かに似ている気がする……、という引っかかりを感じていた。読み終わってからわかった。それはwikipediaだった。あの味気ないwikipediaの「村上春樹」の項目が、春樹自身の手によって書きなおされ、一冊の本になった。収められているのは、春樹のデビューから現在(2011年一月)に至るまでの、さまざまな時期に書かれた文章なんだけど、僕がこの本を読んで受けたのは、そのような印象だった。自伝と言ってもいいかもしれない。ひねくれ者の作家が残した、いちばんまとまった自分の一生の記録としての一冊。村上さんはひねくれているせいで、このような形(30年間の作家活動の断片の集積)でしか自伝を出せなかったのだ! 
 それはもちろん冗談だけど、なにはともあれ、僕はこの本をとても楽しく読んだ。「安西水丸は褒めるしかない」や、「柄谷行人」については読みながら爆笑してしまった。示唆に富んだ一節があり、どうでもいいようなバカバカしい一節があり(ダジャレもあるよ!)、そういうもののすべてが「村上春樹」なのだと理解できる。なにより、何かを褒める文章がすばらしい。「キングを読んでるとuneasyになるけどuncomfortableにはならない」など、「さすが村上春樹!」と言いたくなるような珠玉の表現がたくさんある。春樹の文章を読みながら、「ああ、ほんとうにその小説が好きなんだなあ」と微笑ましい気持ちになる。僕はこの本折に触れて読み返したいと思う。
 だけど、2009、2010年の「1Q84」と、2011年の「雑文集」。これらの本を並べてみると、僕は少し寂しい気持ちになる。なぜなら、「1Q84」も「雑文集」も、春樹の作家活動の「まとめ」的な意味合いを持っているように思えたからだ。小説活動のまとめとしての「1Q84」。小説以外の活動のまとめとしての「雑文集」。これらの本には、新しい春樹がなかった(僕にはそう思えた)。そして春樹は今年で61歳になる。って、思ったより年とってなかった……。すいません……。
 考えを改めました。
 「1Q84」と「雑文集」は、春樹が意図的に引いた線なのだ。作家として新たな地平に進むために、ひとつのくぎりをつけるために、それまでの作家活動をまとめたのだ! 79〜95年(デビュー〜地下鉄サリン阪神淡路大震災)、そして95〜2011年。おもえばこれらはどちらも16年だ! そして春樹は次の長編で、オウムの影を完全に振り払い、コミットメントの先へと進むのだ! それは911以降の暴力を扱った作品となるだろう。もしかしたら1Q84の四つめかもしれないけど、きっとそこには新しい春樹が顔をのぞかせることになるはずだ。雑文集読んで春樹がこの先短いんじゃないかと思って心配したけど(寿命が迫った人が知り合いにかたっぱしから連絡をとり始める現象に似たものかと思った)、それは余計なお世話だったみたいだ(と信じたい)。まだまだ春樹若いじゃん! そういや本の中で、「父親が2009年に死んだ」みたいなことも書いてあった。村上さんは健康に気を使っているようだし、まだまだ大丈夫だろう(と信じたい)。僕は春樹をちゅっちゅしたいくらいには好きなので、これからの活動をこころから楽しみにしています。
 そういうことや( ・´ー・`)