ストリートの思想のかんそうとウエハースの椅子のかんそうと勉強の話。

ストリートの思想 転換期としての1990年代 (NHKブックス)

ストリートの思想 転換期としての1990年代 (NHKブックス)

ウエハースの椅子 (ハルキ文庫)

ウエハースの椅子 (ハルキ文庫)


 毛利嘉孝さんの『ストリートの思想』を読んだ。なるほどなあと思った。
 江國香織さんの『ウエハースの椅子』を読んだ。にゅーん(´・ω・`)と思った。

   ☆

 勉強した。勉強したくない病は最初から存在しなかったかのようにどこかにいってしまった。勉強している最中にとりとめもないことが次々に思い浮かぶ、体中がかゆくなる、貧乏ゆすり、躁鬱る、などといった特有の症状がなくなっていた。医者にその旨を伝えると、すぐに精密検査が行われることになった。MRI、レントゲン、胃カメラといった検査オールスターズをベルトコンベアに乗せられた加工製品のように次々とこなした。その間も勉強をしたくなくなることはなかった。むしろ新しい参考書を買う算段を練る余裕まで生じているほどだった。
 検査が終わると、医者の部屋に呼ばれた。僕は固い椅子に腰掛け、医者の審判を待った。医者はカルテのようなものから顔を上げもせずに「とりあえず、治療は終わりですね」と言った。僕は病院を退院することになった。病気を発症していない人間は病院内に居場所はないのだ。
 相部屋だったおじいさんにお別れの言葉をいうと、おじいさんは「お、おまえのことなんか、さいしょから、さいごまで、す、好きになれなかったぞい!」と顔を背けた。その態度を観た瞬間、病院で過ごした日々がMAD動画のように蘇ってきて、僕は無償に寂しくなった。
 久しぶりの普段着はずいぶんと違和感があった。固く、冷たく、よそよそしく、なにより窮屈だった。成長はとっくの昔に止まっているはずなのに、そう感じた。慣れ親しんでいると思っていたものに裏切られるのはいまにはじまったことじゃない。いまにはじまったことじゃない、なんども、なんども経験してきたことだ。そう自分にいいきかせた。着ていればすぐなじむだろう。それまでの辛抱だ。
 大きくふくらんだボストンバッグを肩に下げ、僕は病院を出発した。二人の看護婦が見送りにきてくれていた。彼女たちが風船や櫛やぬいぐるみなどを詰め込んだせいで、バッグは大きくふくらんでいるのだ。
 バスが発車しても、彼女たちは手を振り続けてくれていた。僕は一度だけ手を振り返した。なんども同じことをするのが嫌だったので、それからは一回も病院のほうを見ず、舗装が甘い道路の振動に想いを馳せることにした。
 船着場で船を待った。船はすぐに到着した。僕はその小さなクルーザーに乗り込み、大きな薄型テレビから三列目の端っこの席に座った。まどろんでいるうちに船は伊勢に着いた。すべてはあっという間だった。医者に症状がなくなっていることを言ってから、いままで。いろんなことをしそびれた気がした。いろんなものを島に忘れてきたような気がした。
 こうして僕は一年ぶりに家へと戻ってきた。
 アパートに戻ると、部屋中を片付けた。缶ビールに缶詰、雑誌、読まない本、CD、amazonダンボール……。いろんなものをまとめてゴミ袋に放りこみ、埃の積もった部屋に掃除機をかけた。フローリングをぴかぴかにすると、次はキッチンへと向かった。たまった洗い物をパワープラスジョイで一掃した。水滴を一滴残さずぞうきんで拭きとり、風呂へと向かった。掃除をしているあいだ、ずっと、サバイバルゲームの戦場へと勇み歩く武装した中学生を演じているような気分だった。心気を一転させようなどという目論見があったわけではなかった。僕は自分の体が部屋を綺麗にしていくのを事後的に確認していただけだった。なぜかはわからないがそうせずにはいられなかったのだ。山積みされた「やるべきこと」を、順番に、ぜんぶ……。それはともすると病院での生活を終え、帰ってきたことにトリガーをひかれた行為なのかもしれなかった。
 僕はすべてを片付けると、塵ひとつない完璧な部屋で、鍋にお湯を沸かし、インスタントラーメンを作り、ぴかぴかのお椀に盛り付け、新しい箸で一気にたいらげた。麺をすすり、熱いスープを飲み干した。