ぼくはいったいなにをやったんだろう?・エイジ


 さいきんのぼくがやっていることがわからない。やりたいことがわからない、やれることもわからない、やったこと、やってること、それらが全部かいりしているんだ!みたいな90年代みたいな感じ(!?)じゃなくて、純粋に記憶がない。なあんだ。と、みんなは思うかもしれない。でもダンコーガイさんによると記憶とは傷であるらしい。

 文脈やエクスキューズは完全に忘れてしまったけど、そのフレーズだけが頭に残っている。気になった人はぐぐればいいと思う。そんな感じでぼくの記憶はクラウド化されているんだと思う。ツイッターやブログや2ちゃんねるに書きこまれたことすべてがぼくだ。ぼくは文字である。文字通り。操作ログの世界だ。きょうこの日に自分探しに出かける人がネットに精通していない確率が1000パーセントなのもうなずける話だと思う。ほんとうの自分なんてどこにもいないんだってことを、ほんとうのきもちなんてどこにもないんだってことを、すべては言葉遊びなんだってことを知らない人たちはとても幸せなんだと思う。ウッソー!? マジ!? たぶん、違う。。。。。そんなわけでぼくは湯浅政明さんの『カイバ』が好きです。金曜ロードショーで毎週放送されるべきだと思うね!

これはペンです

これはペンです

 日記を書こうと思った。だけどできなかった。ウッソー!? マジ!? すいません、嘘です。。。。というのも日記というのはその日にあったよしなしごとを綴るためのツールだからである。なのでまずは「その日」の定義がしっかりしていなければいけないわけだ。いちたすいちがにであることを覚えていない幼女に掛け算が覚えられないように。ウッソー!? 嘘だな。。。みなさんご存知の通りぼくの生活において昼夜は逆転している。すっかり毎朝八時にカーネーション(ドラマ)を観てから眠り、おひさま(ドラマじゃない)が沈みかけた頃にむっくりヤッホーするリズムになっている。とんだ下克上である。なので活動時間帯が16時〜24時、0時〜8時とかになってるわけだな。賢い方はすでにお気づきであろうが、例えば今日の場合だと、ぼくは13日と14日をちょうど八時間ずつ生きることになる。そうだ。「今日」だ。もう「今日」という単位がよくわからない。「その日」も然りだ。残念なことに、一日の単位というものは昼夜逆転生活者用にフォーマットされていないらしく、ぼくが生きている時間をなんて呼べばいいのかわからないのだ。ぼくはいったい何を生きているんだろう? ぼくはいったいどこを生きてきたんだろう? これまで僕は11日(水)、12(木)とか書いて、日記を書いてきたわけだけど、今それをすることは何か正しくないように思えるのだ。そりゃあ厳密に言うとすべての言葉は記号なのだから全部は真実の近似でしかないわけだけど、それにしたってなんかみんなに伝わりやすい言葉を使いたいじゃん。感覚を共有したいじゃん。だって僕はクラウドだからね。興味ないよね。そうだね。そんなわけで僕は一日と一日の狭間を生きている。とんだはみ出しものだ。もうそれがアイデンティティになっちゃうくらいだよ。鬱屈した自意識を抱え込んで妄想を肥大させて個室に閉じこもってみたはいいけどそれでもコミュニケーションを否定することはできなくて否応なく駆りだされた社会ではやっぱりつまはじきにされるし……その感覚は肥大したエゴに根付いたもので……みたいな感じだよ!あーもう首都高ドライブに行きたい。でも免許がねえ。処置なしやな。。。。

 つまり今日も楽しかったということです。明日はもっと楽しくなるといいね。明日っていつさ!?


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