理解がいらない多幸感(今村夏子/『こちらあみ子』)
- 作者: 今村夏子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/01/10
- メディア: 単行本
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障害者視点だって? じゃあベンジャミン(フォークナー/『響きと怒り』)と結婚すればいんじゃね?って読み始める前は思っていたけど、その手の感想をはねのけるタイプの作品だった。
ちょうおもしろかったです。
主人公に没入できないことが、とても悲しい。ここでは誰も不幸になっていない。何も変化しない。ただ、時間が過ぎるだけ。
「こちらあみ子」を読んでなんとも言えない気持ちになってしまうのは、僕がいままでに読んだいろんな物語を勝手に代入してしまうせいだろう。
マザーなんとかとかいうえらいばあちゃんが「愛の反対は無関心やで!」って言ったとかなんとかいうことは100作以上の本で知っていたけど、なんつーかだいたいそんな感じの小説だと思った。いや、それは違う気がする……。なんだろう……。うーん……(´・ω・`)
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)
主人公のあみ子ちゃんは世間とはズレた感性の持ち主で、たぶん発達障害とかそういうのでくくれちゃう子。他の人とは感性のずれた(空気が読めない)あみ子のすることはどれもこれもが裏目にでる。家族がばらばらになってしまう。
それでもあみ子ちゃんは笑う。好きな男の子に折られた歯を気に入っちゃう。兄ちゃんがヤンキーになっても母ちゃんが無気力になっても不思議な気持ちになるだけなのです。
あみ子ちゃんは作中で誰にも理解されない。誤解から誤解へと移り、話は終わるのです。世間のそんなぞんざいな暴力を全身でうけとめるしかないあみ子ちゃんは、痛いのか痛くないのかよくわかんないのです(´・ω・`)
町田康さんが「誰でもあみ子や!」って言ってたけど、そうは思わなかったです。たしかにそれはわりと的を射ているような気がするけど、少なくとも初読ではそんな印象はまったく受けなかったです。僕はあみ子じゃなかったです。誰にも感情移入できず、展開する物語を遠巻きに眺めることしかできなかったです。それでも何かが揺さぶられたです。読み終わって呆然としたです。「あっ……」って感じの気づきがあったです。
ほんとは、あまり語りたくないのです……。
あ、そういう……の、も、ありなんだ……。
って感じでさーです。
なんて言えばいいんだろうなあ……です。
とりあえず読めばいいんじゃないかな( ・´ー・`)です。
でも、わりと僕は小説が読めないから僕だけへんなこと言ってる可能性が多々あるんですけどね……。まあ僕はみんなから変な視線向けられても気にしないし。ずれてることで虐げられてもそれはそれで楽しめるし。自分のペースで僕だけのフレーズ作ってこの先のフェイズに進むだけだし( ・´ー・`)まわりが苛立ったりしてるのもぜんぜんわかんないし……。
( ・´ー・`)
そうですね。
現状を全肯定しちゃう女の子っていったら「車輪の国、向日葵の少女」を思い出しますね。
そうですね。
あとさきちゃんはかわいい。さきちゃんのおかげでより読後感に戸惑いを覚える。
そんな感じかなー(´・ω・`)
今回のタイトルはなんなんだろう……。どういうことなんだろうなあ……。
そんな感じで、三島由紀夫賞受賞おめでとうございました。今村さん、もう小説書かないとか言ってるけどもっとお願いしますよぉ!