「君に届け」のかんそう

 椎名軽穂さんの『君に届け』を読んだ。まじごめんなさい、って気になった。そして泣いた。まじごめんなさい。
 僕は以前、ブックオフとかそのへんで、君に届けをおおざっぱにパラパラ読みして、「ふむん。そういうことね。よくあるパターンだね。やれやれだぜ。やっぱ流行ってるものは糞だなぺっぺっ」っていう感じに陥ってた。だけど改めて読んでみたらおもしろかったよ……。ごめんなさい……。てゆーか漫画って形式はパラ読みすると構造(キャラクターの役割)だけよく見えるのね。で、キャラクター配置が実に典型的だと思ったのよね。さえない主人公といい、やな感じの恋敵といい、姉御肌のサポート役といい。でもそれは、繊細な感情を描くために、わかりやすくしてたのね。典型的な記号を持つ絵に沿った、典型的な性格を乗せてあるから、読者はかんたんにキャラの物語中の役割をつかみとることができる。だから、複雑で繊細な感情の物語にぬぷぬぷ入っていけるのね。

 しかし僕はいまいちノリきれなかった……。
 二巻まで読んで、爽子に感情移入できなかった……。そのせいですべてがにゅーん(´・ω・`)になってしまった……。
 二巻までの、爽子が「ズレてる子」として描かれてる部分で、コメディとして笑うことができないところが二、三個あって(ちょっとしらけてしまって)、爽子がどんどん離れていってしまった……。そんな状態でくるみちゃん編がはじまったので、ダメでした。くるみちゃんが一方的に悪者になることは巧妙に避けられてるから、もう〜。というかくるみちゃん編ではくるみちゃんの気持ちもよくわかるようにつくってあるから、爽子がどうにもムカついてだめだった。まあそれで十一巻での成長へと続いてるんだけどね。でもね〜。
 序盤の時点では、天然ボケで、梅ちゃんのやり場のない思い/嫉妬感情を緩衝するのとか、まじムカついちゃうのよね〜。

 まじ泣くしかねえよこの漫画。

 天然・ズレてるキャラである爽子を、表現するために、メタ視点からの語りをいれなければならない。そのメタ視点の役割を負っているのがくるみちゃん(読者にしかわからないつっこみをいれたりと)。なのでくるみちゃんの立ち位置のほうが読者(少なくとも俺)に近い。で、俺は爽子に感情移入できていなかった。その結果、どういう現象が起こったか。そうです。くるみちゃんに感情移入してしまったのです。その瞬間から、この漫画は欝漫画に変貌をとげた!それからのくるみちゃんの痛さ(イタいではなく痛い)といったら、もう、泣くしかねえんだよッ。ていうかくるみちゃんに感情移入してアンチ爽子にならないやつっていんの!?
「「梅」は」
「わたしの唯一のコンプレックスなのに〜」のとことか超かわいいじゃん。だって僕、胡桃沢耕史とか好きだし!しかたねえんだよおお!ちくしょおおお!

「爽子、手ごわいでしょ」「超正攻法だからね」のとことか、そんなことわかってんだよおおおお!いちいちうるせええよこのやろおおおわざわざことばにすんなよばっきゃろおおお!ってなるし。
 というか「ヒロイン失格」を読んでるせいかもしれない……。
「この気持ちが恋だったらいいって」「恋であってほしいって」「強く」「強く」「強く思った」ぎゃあああああ!

 で、もうくるみちゃんがフェードアウトしてからの話なんてどうでもいい。泣いたけど、千鶴と龍の兄ちゃんがどうのこうのとかどうでもいい。それを目の当たりにすることが爽子が成長するために踏まなければならない段階だとしてもどうでもいい。爽子の成長なんてまじどうでもいい。風早くんが爽やかとかもどうでもいい。届かない恋があるのに、届きあってるのにうだうだしてるお前らはなんなんだよッ?ってテーマを、もはや穿った見方でしか見れない。10巻までは絶望しかない。そして絶望の中でドラマの大半が終わってしまった。そんな漫画でした。
まあなんにせよ超おもしろいんだけどね。